『粕谷幸司の自由なコラム』17
忙しいとか、嫌なことがあったとか、なんだかずどーん…と気持ちが落ちちゃう時とか、たまにあるじゃない?誰しも、まあ、学校なり仕事なり家庭なり、どこかしらで生きてれば誰しもさ。
そんな時、人のせい!とか状況・環境が悪い!とかって八つ当たりしてても、ものごとは良い方には進んでいかないし、ともすれば周りの人を不快にしたり不安にしたり傷つけたり、迷惑かけちゃったりする。
自分以外の要因が、勝手に自分の思い通りに「変わっていってくれる」ことなんて、期待しちゃいけないの。
だから僕は、ずどーん…と気持ちが落ちちゃう時とかは、天気のせい!と思うようにしてる。
気分が晴れないなーって時に「あ、なんだー天気が悪いじゃんー、じゃあしょうがないな、がんばろー」って思う。天気が相手じゃ、八つ当たりのしようが無いし(笑)、自分の気持ちが上がらないその状況も、なんとか受け止めつつ前に進めるかな、ってね。
でもこれは、自分への厳しさでもあるんだけど、天気が悪いからといって気分が下がっても良い、ということではなくてね。あくまでも「自分の落ち込みの言い訳を、天気というどうしようもない要因にすりかえて受け流す」っていうのかな。
自分の現状のせいだってのはわかってるんだけど、どうにかこの気持ちを処理しておかないと八つ当たりしてしまいそうだから、自分を許してあげるために天気のせいにしちゃう、という。
…いや、思い返してみれば今年の6月とか9月とか、やたら空が晴れない日々が長かった時期は、本当に死ぬほど気分が下がり切っていてどうしようもなかったっけ。
今年そのあたりに”日照不足“っていう言葉を痛感した。太陽の光が無いと、こんなにもあらゆる世界がバランスを崩したように荒んで見えるのかと、心底、驚いてた(そして気分は下がっていた)。
だから、もしかしたら本当に天気のせいなのかも知れないよ!そーだそーだ!天気のせいなんだ!
…と考えると、最高に気持ち良い天気の日にもものごとが上手くいかない自分の状況は酷く凹む要因になっちゃったりするけど。考えないようにしよう、いまは。
そうやって、溜め込みがちなゆううつは、天気のせいにすることで自分を楽にしてあげてる。
けど、それも身勝手な話でね。
失敗は天気のせい、成功は自分の手柄…って、それはもう八つ当たりそのものだもん。
だから最近は、秋をむかえて心地の良い空気の日が多いから、感謝もしようと思って。
「天気が良いおかげで、今日は良い日になりそうだなーっ!」って、前向きに、良いことも天気のおかげなんだ、って思ってみることにしてる。
そう、逆に考えれば、普段も「特に良いことあったわけじゃないけど、気分は上がってる」ってこと、あるじゃない?そういう時に、日頃おおいに八つ当たりしてる天気に「ごめんね」って気持ちも込めて…「君のおかげだ、ありがとう」って、思うように。
…ってこれ、もうむしろ天気の擬人化だな!
ここまで極端じゃなくても、このくらいの人付き合いをしても良いのかもね。
自分を楽にしたいために、ふと八つ当たりしちゃうことがあったら。あとで少し頭を冷やして「ごめんね、ありがとう」って、伝えてあげられたら。
ごめんね、ありがとう。この思いを、その瞬間じゃなくても、ちゃんと忘れずに、いつか相手に伝えられたら。
そしたらきっと、傷つけてしまったとしても少し和らいで、お互い笑顔になれるかも。
お天気くん、上手くいかない時に八つ当たりして、ごめんね。
今日は晴れてくれてありがとう。君のおかげで、気分が良いよ。